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ケモノを扱った短編小説集です。 以下本文一部サンプル --- 轢死体 The suspicious death  この場に長居をする、ということが何を意味するのかはクヴァン氏にも分かっていたし、もっと分かりやすく言うならば、少しでも早くこの場を立ち去る方が、よっぽど賢いということは重々承知していて、事実、彼の大脳の人並みに利口である部分は懸命にその信号を送っているのだ。だのに彼ときたら、めくらの車掌のように、その合図には全く気づけないでいた。あるいは、この全身の震えを、ある種の昂ぶりにも似た感覚のそれと誤解していたのかもしれないが、ともかく彼は微動だにしなかった。この世界に突如残されてしまった何者かが二人いて、けれども無慈悲な神が貪欲な鉄塊を駆動させ、悲劇を悲劇として悲しむ余韻すら与えることなくもう片方の存在から魂を簒奪してしまったときの、残された方の存在のように。口中は粘ついていた。苦くて不味い泥のような珈琲を飲まざるを得なかった時のように。月光が煌々と彼らを照らしていた。彼の浸っている感傷が、悲哀か、嘆きか、衝動か、一体何なのかは分からなかったが、ともかく彼はどうしようもなくそこに縛りつけられていて、動けないまま、視線は、血飛沫の乾燥したその強張った獣毛の上を何回も何回も往復しているだけだった。頭部のないこの轢死体には、当然、他にも欠損している部分が多々存在しただろうが、クヴァン氏の心中は、もし完全な状態で出くわしたならば悍ましく慄然と立ち竦むばかりであろうこの存在で、人ならざる者の痛ましい末路を自分だけが今目の当たりにしているのだという子供じみた得意げな独占欲、万能感で満たされているのであった。 --- ビイドロ in vitro  空き缶をぐしゃりと握って中央をへこませて、柿の種の空袋と一緒に部屋の片隅に放置する。そうして全ての気力がもう完全に溶け出してしまって、そのまま布団の上に倒れ込む。汗でベタついた体が最早区分不可能なシャツとシーツに絡まって、独特のあの貼り付くような不快感を彼の鱗に伝えても、それはもう大したことではなかった。先程ついひと眠りしてしまったはずなのに、全身がもう起きていたくはないと、酒に唆されたせいで、口を揃えてそう言っていた。何も片付いてはいなかった。全てがそのままだった。ささくれ立ち、尖って邪魔な鱗が寝返りの度に敷布団を引き裂いて、あるいは自重のせいで割れ落ちた気がした。そうやって剥がれた鱗の下にある素肌に伝わるヒリヒリした感覚だけが、彼にとっては唯一の、今生きている実感だった。でもそれだけだった。何か全てを突然変えてくれる来訪者も、懸命な努力が報われることも、あるいは些細な奇跡の類も、あるわけがなかった。現実は容赦なく厳しかった。いや、そうではなかった。現実はただ、そこに存在しているだけだった。そこから何かを引き出さなければ何も得られはしなかった。現実はそういう性格だった。そこから爪弾きにされてしまった者は、そうして生きていくしかないのだった。 --- 負け犬 The loser 「何か食う?」 「遅くなっちゃったね」 「ヤってたんだから仕方ねーじゃん」 「いや、別に責めてるわけじゃなくって」 「俺も怒ってるわけじゃないけど」  はあ、とでっかい溜息をついたのは、俺じゃない方の住人だった。俺達は最近、ずっといつもこうだった。ぼーっと、他の奴らみたいになりきることもできないから、毎日に何かを求めすぎて、そのくせ勝手に相手に、自分に、世間に失望して、その鬱憤を甘えながら発散することしかできてなかった。それをわかってるのに、抑えられないくらいのガキ、みたいな俺達だった。ガキのままでいるのは、正直なところ、楽だし、よかった。甘える、っていうのとはまた何か違かった。相手に求めてるものは口には出さないけど、態度で示して、お互い察してるのに、言わないからそうしようともしなくって、それでだんだん嫌気が差してくる感じ。相手にも、自分にも。この惰性で続いてる的な関係にも。 --- 夜に Tonight, in the night  リュウは胸ポケットから大事に大事に取っておいた、でもこの大雨で湿気ってる最後の一本の煙草を取り出して、いつもと同じように口に運んで、人生できっと最後の一服になっちゃうなんて雰囲気を少しも出さないで、白い煙を吐き出した。よかった、ちゃんと火がついて。アタシは少し安心した。不思議と。そうやってリュウはもっともらしく考えてるみたいだったけど、考えるアテなんてないことくらい、アタシは知ってた。でもしばらくアタシもこうやって、最後の煙たい感じを味わっていたくって、棒立ちになって、息を吸ったり吐いたりしてた。でもリュウは全然何も言い出さなかった。アタシは知ってた。煙草を吸って二分経ってもリュウが何も言い出さないときは、実は何も考えてないときだって。  だからアタシは言ってやった。 「ヤる?」 --- トラウマ An emotional event  男は彼に逃げ、彼は男に逃げるのだった。醜く支配的なケダモノと化した獣に犯され、あさましくも更なる行為をねだり、性的に服従されることを余儀なくされ、そして何よりもそれを受け容れなければ生き延びていけないような境遇の、可哀想な自分。今、彼は、悲劇の主演俳優だった。そういった意味でのエクスタシーに彼は浸っていた。脳内で彼は必死に自らの不幸にして憐れむべき理由を探してはいちいち納得し、その麻酔で神経を痺れさせ、酩酊した視界の中に、しかし依然として存在している屹立した(汚い)物体に熱いまなざしを向け、行為を加速させていくのだった。 --- まつり Carnival  霎時、彼の背を残光で照らしつけていた仄日、幾許もせぬ内に地平の下へ沈み、逸遊の時、刹那に終われり。木々の暗翳、百鬼夜行の蠢動、魑魅魍魎の低語響き出す有象無象の騒めきありて、俄に気概失せ、悍ましい行路を、少年、家へと向かい急ぐばかりなり。  山麓から街衢までは咫尺にて、濃紺の制服を霧中、晦冥に溶かし、足を進めれども、一向に家々の灯り見えず、益々森深く、気味の悪い空気、七竅へ入り込み、怪奇にも昆虫夜鳥の声聞こえぬ様にて、心持ち当然安らかに非ず。次第に速まる心音と共に増し、小走りにて道を行けども、些かも田畑、里の見えることなく、いよいよ遭難の憂き目、無卦の末路と、不安寂寞諦念の坩堝たる心象にて、落涙を虚勢でもって懸命に堪えたり。

ケモノを扱った短編小説集です。 以下本文一部サンプル --- 轢死体 The suspicious death  この場に長居をする、ということが何を意味するのかはクヴァン氏にも分かっていたし、もっと分かりやすく言うならば、少しでも早くこの場を立ち去る方が、よっぽど賢いということは重々承知していて、事実、彼の大脳の人並みに利口である部分は懸命にその信号を送っているのだ。だのに彼ときたら、めくらの車掌のように、その合図には全く気づけないでいた。あるいは、この全身の震えを、ある種の昂ぶりにも似た感覚のそれと誤解していたのかもしれないが、ともかく彼は微動だにしなかった。この世界に突如残されてしまった何者かが二人いて、けれども無慈悲な神が貪欲な鉄塊を駆動させ、悲劇を悲劇として悲しむ余韻すら与えることなくもう片方の存在から魂を簒奪してしまったときの、残された方の存在のように。口中は粘ついていた。苦くて不味い泥のような珈琲を飲まざるを得なかった時のように。月光が煌々と彼らを照らしていた。彼の浸っている感傷が、悲哀か、嘆きか、衝動か、一体何なのかは分からなかったが、ともかく彼はどうしようもなくそこに縛りつけられていて、動けないまま、視線は、血飛沫の乾燥したその強張った獣毛の上を何回も何回も往復しているだけだった。頭部のないこの轢死体には、当然、他にも欠損している部分が多々存在しただろうが、クヴァン氏の心中は、もし完全な状態で出くわしたならば悍ましく慄然と立ち竦むばかりであろうこの存在で、人ならざる者の痛ましい末路を自分だけが今目の当たりにしているのだという子供じみた得意げな独占欲、万能感で満たされているのであった。 --- ビイドロ in vitro  空き缶をぐしゃりと握って中央をへこませて、柿の種の空袋と一緒に部屋の片隅に放置する。そうして全ての気力がもう完全に溶け出してしまって、そのまま布団の上に倒れ込む。汗でベタついた体が最早区分不可能なシャツとシーツに絡まって、独特のあの貼り付くような不快感を彼の鱗に伝えても、それはもう大したことではなかった。先程ついひと眠りしてしまったはずなのに、全身がもう起きていたくはないと、酒に唆されたせいで、口を揃えてそう言っていた。何も片付いてはいなかった。全てがそのままだった。ささくれ立ち、尖って邪魔な鱗が寝返りの度に敷布団を引き裂いて、あるいは自重のせいで割れ落ちた気がした。そうやって剥がれた鱗の下にある素肌に伝わるヒリヒリした感覚だけが、彼にとっては唯一の、今生きている実感だった。でもそれだけだった。何か全てを突然変えてくれる来訪者も、懸命な努力が報われることも、あるいは些細な奇跡の類も、あるわけがなかった。現実は容赦なく厳しかった。いや、そうではなかった。現実はただ、そこに存在しているだけだった。そこから何かを引き出さなければ何も得られはしなかった。現実はそういう性格だった。そこから爪弾きにされてしまった者は、そうして生きていくしかないのだった。 --- 負け犬 The loser 「何か食う?」 「遅くなっちゃったね」 「ヤってたんだから仕方ねーじゃん」 「いや、別に責めてるわけじゃなくって」 「俺も怒ってるわけじゃないけど」  はあ、とでっかい溜息をついたのは、俺じゃない方の住人だった。俺達は最近、ずっといつもこうだった。ぼーっと、他の奴らみたいになりきることもできないから、毎日に何かを求めすぎて、そのくせ勝手に相手に、自分に、世間に失望して、その鬱憤を甘えながら発散することしかできてなかった。それをわかってるのに、抑えられないくらいのガキ、みたいな俺達だった。ガキのままでいるのは、正直なところ、楽だし、よかった。甘える、っていうのとはまた何か違かった。相手に求めてるものは口には出さないけど、態度で示して、お互い察してるのに、言わないからそうしようともしなくって、それでだんだん嫌気が差してくる感じ。相手にも、自分にも。この惰性で続いてる的な関係にも。 --- 夜に Tonight, in the night  リュウは胸ポケットから大事に大事に取っておいた、でもこの大雨で湿気ってる最後の一本の煙草を取り出して、いつもと同じように口に運んで、人生できっと最後の一服になっちゃうなんて雰囲気を少しも出さないで、白い煙を吐き出した。よかった、ちゃんと火がついて。アタシは少し安心した。不思議と。そうやってリュウはもっともらしく考えてるみたいだったけど、考えるアテなんてないことくらい、アタシは知ってた。でもしばらくアタシもこうやって、最後の煙たい感じを味わっていたくって、棒立ちになって、息を吸ったり吐いたりしてた。でもリュウは全然何も言い出さなかった。アタシは知ってた。煙草を吸って二分経ってもリュウが何も言い出さないときは、実は何も考えてないときだって。  だからアタシは言ってやった。 「ヤる?」 --- トラウマ An emotional event  男は彼に逃げ、彼は男に逃げるのだった。醜く支配的なケダモノと化した獣に犯され、あさましくも更なる行為をねだり、性的に服従されることを余儀なくされ、そして何よりもそれを受け容れなければ生き延びていけないような境遇の、可哀想な自分。今、彼は、悲劇の主演俳優だった。そういった意味でのエクスタシーに彼は浸っていた。脳内で彼は必死に自らの不幸にして憐れむべき理由を探してはいちいち納得し、その麻酔で神経を痺れさせ、酩酊した視界の中に、しかし依然として存在している屹立した(汚い)物体に熱いまなざしを向け、行為を加速させていくのだった。 --- まつり Carnival  霎時、彼の背を残光で照らしつけていた仄日、幾許もせぬ内に地平の下へ沈み、逸遊の時、刹那に終われり。木々の暗翳、百鬼夜行の蠢動、魑魅魍魎の低語響き出す有象無象の騒めきありて、俄に気概失せ、悍ましい行路を、少年、家へと向かい急ぐばかりなり。  山麓から街衢までは咫尺にて、濃紺の制服を霧中、晦冥に溶かし、足を進めれども、一向に家々の灯り見えず、益々森深く、気味の悪い空気、七竅へ入り込み、怪奇にも昆虫夜鳥の声聞こえぬ様にて、心持ち当然安らかに非ず。次第に速まる心音と共に増し、小走りにて道を行けども、些かも田畑、里の見えることなく、いよいよ遭難の憂き目、無卦の末路と、不安寂寞諦念の坩堝たる心象にて、落涙を虚勢でもって懸命に堪えたり。