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ケモノを扱った短編小説集です。 以下本文一部サンプル --- ノケモノケモノ far from fur  それから後の話は、彼と彼女に関してというわけではなく、同じような境遇のすべての人々における一般論として記しておくのだが、まず、夜が深まるにつれ、途方もない期待に身体が火照った。まるで一年に一度しか会えないパートナーと逢瀬を重ねるときのように。どんなに酒を飲んでも、覆い隠すことのできない昂りが身体の中に確かにあるのだった。そうして次に、そんな様子では眠れるわけもなくて、寝床からたまらずに抜け出して、同じ夜空を見上げるのだった。  そう、同じ夜空。どこから見ようと、いつ見ようと全く同じ夜空であるはずなのに、今夜という一時に限っては、著しく特別であるような気がしてならないのだった。  そうして物思いにふけり、あるいは興奮して、または未知の不安に心を奪われながら、ひょっとしたら――この夜は何かの手違いで明けてしまうことはないのではないか、とか、自分が本当に朝を迎えることはできるのだろうか、とか、そんな思い返せば大仰にも程がある落ち着かなさに意識を常に傾けながら、遅々として進もうとしないこの夜に焦らされているのだった。時間に対して分相応な思いを抱きながら、けれどもこの夜だけはそんな無作法も許してくれるような優しさを秘めている気がして。 --- 廃棄物 Garbage  私はその間、決して動かないようにしていた。なんとなく、見られないほうがいいと思ったからだった。最初の頃は、そもそもこんな姿を見せたくも見られたくもなかった。今はただ、見られてはいけないと強く感じていた。なぜなら、ここに落ちてくるものはみんな、もう生きてはいないものばかりだったからだ。私はご主人から遠ざかってしまったその先でも、ひとり、仲間はずれにされているような気がして、心から寂しかった。  動けなく、やることもない私は、場違いな退屈さを感じていた。もう随分の間、眠っているのか起きているのかも分からなかった。日射や空腹で気を失って、時折本能的に目覚めて。  どすん。  足に何かが、ぶつかった。忘れていた痛みという概念が久しぶりにぶり返してきた。でもそれは、なぜかすぐに遠ざかってしまった。だから私は目を開けている理由もなくて、またこれまでと同じように瞼を閉じて、あとは何もしていなかった。上の方で何かがうんうん唸ったり、ぎいぎい動いたりする音だけが聞こえてきた。でもそれ以外の、話し声も風のそよぎも聞こえはしなかった。 --- 或る少女小話 An anecdote about the Girl 「あの眼が、気配が、態度が、私を、私たちを、そう仕向けていると思うんです。だって、そうじゃないですか。当たり前ですよね。肉食と草食がそこにいたら、どんなにきれいな言葉で飾ってても、それは結局、食べる側と食べられる側なんだって。私たちはそれを、どんなにしても、受け容れなきゃいけないんだって」 「草食、私たちは、いつも、いつもそうなんです。我慢しなきゃいけない側。受け容れてあげなくちゃならない側。  結局は肉食のわがままなんです。でも、肉食のわがままは、美談とか、権利とかになる。私たちのわがままは、わがままのままにされる。肉食は、いつでも食べられるっていう目線を、どんなに無意識でも私たちに向けてくる。私たちは、社会を乱せないから、それが社会だからっていう理由で、全部認めてあげなくちゃいけなくなる」 --- 水晶宮の竜 The dragon in the crystal palace  いや、まさか。私はくだらない冗句のように、自分が今しがた見たことを否定した。なぜなら、認めたくなかったからだ。閾値を超えた現象は、理解することも存在を認めることも、誰であれきっと否定したいものだ。  ただ、現実は容赦なく、あるいは私のことを最初から気にもかけないで、淡々とその有様を伝えてくるのだった。ほら、これを、お前はまだ見ていないとでもいうのか、と言わんばかりに。  だから私は、それをとうとう、見た。  そう、暗闇だと思っていたものは、彼方からあらわれている影の一部だった。  這いずりうねる長大な蛇にも見える影が、静かにゆっくりと蠢動していた。もし私にもう少しだけ愚かな好奇心があれば、その、岩をも噛み砕くであろう強大な顎(あぎと)を目の当たりにすることもできただろう――己の命と引き換えに! --- 呪縛 The bonds  そうして墓所を出ると、重々しかった気分が少しばかり和らいだような気がした。べつに、彼は霊感とか心霊とかを信じる類ではなかった。ただ、自分の中で理由もなく膨れ上がっていた、父とか親とかという存在、あるいは彼が己の子供にも、己と同じように、異性と結ばれ子を残すことを望んでいたということ。そういった、普通たる、種々の形容し難い、言葉にしようとする過程でどうしようもなく己が傷つき痛みを抱え込むであろう、圧力。そんな空気で満たされた社会という空間に所在なく居場所を占めている場違いな自分。死んだ父を確認することで、いつかはこの、極めて普通すぎる社会も死ぬのではないか、という淡い期待に似た感覚で、彼の心は和らぐのだった。外に出れば必ず、誰かと関われば否応なしに体感させられる、居心地の悪さを。  だから彼は、自分の正体を知られることを、当然のように恐れていた。常に頭の片隅を占めて離れない、一抹の落ち着かなさが、さきほど果たすべき目的を終えてしまい空虚になった心の中で無視できないほど肥大化していた。いや、それほど膨らんではいなかったのかもしれない。それはむしろ小さく些細であるからこそ、目につき、ささり、無視できない痛みとして、ずきずきと疼くように響いてきていた。彼はぼんやりと、濡れた道路の滑りやすい白線を見つめ、うつむいた顔でとにかく歩くばかりだった。墓所から住宅街を抜け、駅まで。電車に乗り、自宅の最寄りまで。そしてそこから、自宅までも。 --- つぎはぎ Patchworked 「ああたしかに、このおれの嘴はほんとうに美しく素晴らしいというのに、他のものたちはなぜもっていないのだろうか」 「いいや、それをいうなら、おれと、おれの子にもある一対のこの立派な角こそ、そうじゃないか」 「いやまて、では、美しく素晴らしいものとは、いったい何なんだ?」 「それこそは、このおれの……」  みなさんには分からないかもしれませんが、じっさい、あの獅子はなにか目的があってこういう話を始めたわけではないのです。獅子はただ単に、その自分がわからないことが不思議でならなかっただけなのです。ですから、すっかり大混乱となり、悩みのあまり充分に眠れるものが日に日に減ってしまったその責を理由に、彼を責めることはできません。もっとも、だれもそんなふうに、獅子を悪く思いませんでした。というのも、みんな、自分と他のものとのあいだにある違いについてうんうん考えるので精一杯だったからなのです。

ケモノを扱った短編小説集です。 以下本文一部サンプル --- ノケモノケモノ far from fur  それから後の話は、彼と彼女に関してというわけではなく、同じような境遇のすべての人々における一般論として記しておくのだが、まず、夜が深まるにつれ、途方もない期待に身体が火照った。まるで一年に一度しか会えないパートナーと逢瀬を重ねるときのように。どんなに酒を飲んでも、覆い隠すことのできない昂りが身体の中に確かにあるのだった。そうして次に、そんな様子では眠れるわけもなくて、寝床からたまらずに抜け出して、同じ夜空を見上げるのだった。  そう、同じ夜空。どこから見ようと、いつ見ようと全く同じ夜空であるはずなのに、今夜という一時に限っては、著しく特別であるような気がしてならないのだった。  そうして物思いにふけり、あるいは興奮して、または未知の不安に心を奪われながら、ひょっとしたら――この夜は何かの手違いで明けてしまうことはないのではないか、とか、自分が本当に朝を迎えることはできるのだろうか、とか、そんな思い返せば大仰にも程がある落ち着かなさに意識を常に傾けながら、遅々として進もうとしないこの夜に焦らされているのだった。時間に対して分相応な思いを抱きながら、けれどもこの夜だけはそんな無作法も許してくれるような優しさを秘めている気がして。 --- 廃棄物 Garbage  私はその間、決して動かないようにしていた。なんとなく、見られないほうがいいと思ったからだった。最初の頃は、そもそもこんな姿を見せたくも見られたくもなかった。今はただ、見られてはいけないと強く感じていた。なぜなら、ここに落ちてくるものはみんな、もう生きてはいないものばかりだったからだ。私はご主人から遠ざかってしまったその先でも、ひとり、仲間はずれにされているような気がして、心から寂しかった。  動けなく、やることもない私は、場違いな退屈さを感じていた。もう随分の間、眠っているのか起きているのかも分からなかった。日射や空腹で気を失って、時折本能的に目覚めて。  どすん。  足に何かが、ぶつかった。忘れていた痛みという概念が久しぶりにぶり返してきた。でもそれは、なぜかすぐに遠ざかってしまった。だから私は目を開けている理由もなくて、またこれまでと同じように瞼を閉じて、あとは何もしていなかった。上の方で何かがうんうん唸ったり、ぎいぎい動いたりする音だけが聞こえてきた。でもそれ以外の、話し声も風のそよぎも聞こえはしなかった。 --- 或る少女小話 An anecdote about the Girl 「あの眼が、気配が、態度が、私を、私たちを、そう仕向けていると思うんです。だって、そうじゃないですか。当たり前ですよね。肉食と草食がそこにいたら、どんなにきれいな言葉で飾ってても、それは結局、食べる側と食べられる側なんだって。私たちはそれを、どんなにしても、受け容れなきゃいけないんだって」 「草食、私たちは、いつも、いつもそうなんです。我慢しなきゃいけない側。受け容れてあげなくちゃならない側。  結局は肉食のわがままなんです。でも、肉食のわがままは、美談とか、権利とかになる。私たちのわがままは、わがままのままにされる。肉食は、いつでも食べられるっていう目線を、どんなに無意識でも私たちに向けてくる。私たちは、社会を乱せないから、それが社会だからっていう理由で、全部認めてあげなくちゃいけなくなる」 --- 水晶宮の竜 The dragon in the crystal palace  いや、まさか。私はくだらない冗句のように、自分が今しがた見たことを否定した。なぜなら、認めたくなかったからだ。閾値を超えた現象は、理解することも存在を認めることも、誰であれきっと否定したいものだ。  ただ、現実は容赦なく、あるいは私のことを最初から気にもかけないで、淡々とその有様を伝えてくるのだった。ほら、これを、お前はまだ見ていないとでもいうのか、と言わんばかりに。  だから私は、それをとうとう、見た。  そう、暗闇だと思っていたものは、彼方からあらわれている影の一部だった。  這いずりうねる長大な蛇にも見える影が、静かにゆっくりと蠢動していた。もし私にもう少しだけ愚かな好奇心があれば、その、岩をも噛み砕くであろう強大な顎(あぎと)を目の当たりにすることもできただろう――己の命と引き換えに! --- 呪縛 The bonds  そうして墓所を出ると、重々しかった気分が少しばかり和らいだような気がした。べつに、彼は霊感とか心霊とかを信じる類ではなかった。ただ、自分の中で理由もなく膨れ上がっていた、父とか親とかという存在、あるいは彼が己の子供にも、己と同じように、異性と結ばれ子を残すことを望んでいたということ。そういった、普通たる、種々の形容し難い、言葉にしようとする過程でどうしようもなく己が傷つき痛みを抱え込むであろう、圧力。そんな空気で満たされた社会という空間に所在なく居場所を占めている場違いな自分。死んだ父を確認することで、いつかはこの、極めて普通すぎる社会も死ぬのではないか、という淡い期待に似た感覚で、彼の心は和らぐのだった。外に出れば必ず、誰かと関われば否応なしに体感させられる、居心地の悪さを。  だから彼は、自分の正体を知られることを、当然のように恐れていた。常に頭の片隅を占めて離れない、一抹の落ち着かなさが、さきほど果たすべき目的を終えてしまい空虚になった心の中で無視できないほど肥大化していた。いや、それほど膨らんではいなかったのかもしれない。それはむしろ小さく些細であるからこそ、目につき、ささり、無視できない痛みとして、ずきずきと疼くように響いてきていた。彼はぼんやりと、濡れた道路の滑りやすい白線を見つめ、うつむいた顔でとにかく歩くばかりだった。墓所から住宅街を抜け、駅まで。電車に乗り、自宅の最寄りまで。そしてそこから、自宅までも。 --- つぎはぎ Patchworked 「ああたしかに、このおれの嘴はほんとうに美しく素晴らしいというのに、他のものたちはなぜもっていないのだろうか」 「いいや、それをいうなら、おれと、おれの子にもある一対のこの立派な角こそ、そうじゃないか」 「いやまて、では、美しく素晴らしいものとは、いったい何なんだ?」 「それこそは、このおれの……」  みなさんには分からないかもしれませんが、じっさい、あの獅子はなにか目的があってこういう話を始めたわけではないのです。獅子はただ単に、その自分がわからないことが不思議でならなかっただけなのです。ですから、すっかり大混乱となり、悩みのあまり充分に眠れるものが日に日に減ってしまったその責を理由に、彼を責めることはできません。もっとも、だれもそんなふうに、獅子を悪く思いませんでした。というのも、みんな、自分と他のものとのあいだにある違いについてうんうん考えるので精一杯だったからなのです。